犬育ては、その犬の理性育てでもある。と私は思っているんだよね。
自分以外の生き物(人や他の犬、猫その他なんでも)と一緒にうまく生活していこうと思ったら、全て自分の本能のままに・欲求のままに、常に自分を中心に・・というわけにはいかない。
それって犬に限らずどんな生き物も、人間だって同じなんだろうけど。
「我慢しなさい。」って犬に向けての言葉になると、「可哀そう。」って感じる方も沢山いるのだろうけど、子供に「我慢しなさい。」って言う機会ってとても沢山あると思うし、子供に向けてとなると、それだって大事なことだと思う人のほうが圧倒的に多いんじゃないかなぁ。
むしろ「我慢を知らない子」として育てられる子供のほうが可哀そうに感じる。
それってきっと私だけじゃないよね??
犬だって同じなんだけどな。
犬って、それくらいの期待、十分応えることのできる生き物なんだよ。
そういう理由から、犬に「我慢しなさい」は「可哀そう」だと思うなんて、ちょっと犬のことをバカにしているというか、犬に対して失礼だと私は思う。
自分の子供がお友達にジャイアンぶってたら(悪い意味でね。)注意するのと同じように、自分の犬が他の犬や人にジャイアンぶってたら、それもちゃんと注意してあげる・止めてあげることがオーナー(親)の役割というか責任だよね。
電車の中、よそのお家、お店の中、等、いろんな状況でどうふるまうべきか、子供に親が教えている姿・注意している姿・褒めている姿・・・そういうのって普通によく見かける。
人から何かを貰った時の対応、不注意で人とぶつかってしまった時の対応、誰かに会った時の対応・・・そういうのも、子供がきちんとできていなかったらその都度教えることって、親としてごく普通のことですよね。
そういう感覚を犬に対しても当てはめてほしいなぁってすごく思います。
子供にしても犬にしても、日々のそういった積み重ねが『育てる』ってことだと私は思うのです。
考えてみれば・・・うちはそういうことを主に教えるところです。
伏せはどうやって教えるか?とか、そういう『形』の話って、極端な話、正直別にどうでもいいんです。
いや、どうでもいいっていうと語弊がありますが。
もちろんします。
ただ、前脚を持って引っ張って伏せさせても、おやつを使って誘導して教えても、リードをふんづけて教えても、伏せている状態の時に声をかけて教えても。。。どんな教え方でも構わないです。
結局のところ、本人(本犬)に伝わればいいんです。
その子が理解できたらそれでいい。
(とはいえそりゃもちろん、レッスン中にコマンド教える段階の時に『別にどんなやり方でもいいよ。』なんて丸投げしたりはしません(笑)だけど、それも自分の犬を知ってもらう・絆を作る作業の1つにもなる大事なステップなので、なるべくオーナーさんに考えてはもらっています。)
本当に大事なのはそこからの話。
だってコマンドなんて、犬が『知っている』だけではなんの意味も持たないもん。
*ここでいう『子供』とは、今の私の子供(保育園児)辺りをさしています。
人の場合は年齢とともに大きく変わってくるだろうから一応^^;
私基準ですみません(笑)
本文とは全く関係ないのですが、画像が1枚もないのも寂しいなと思い、適当にピックアップ。

先日、大好きなお家に久しぶりに遊びに来れて大満足のツブ。
(ま、正直ツブ以上に大大大満足なのが、うち子ザル(娘)達なのですが。そして私も大好き(笑))

もうまさに勝手知ったる人の家・・・状態w